島民気質について。
(大島に限ったことではないことをご承知おき願います)
島の若者の多くは、高校を卒業して都会に出ます。
就職、専門学校、短大、大学と進路はさまざまです。
そして、20代半ばになり、都会を捨てて、島に帰ってくる人もいます。
実家の家業を継げる人は幸運でしょう。
島には仕事がありません。
焦る気持ちを抑えながら、ある日突然、仕事があるよと口利き(斡旋)の声がかかります。
それでようやく仕事に就くことができるわけです。今の島の現状ではほんとうにラッキーなほうでしょう。
20代半ばで島に戻ってきて、ようやく生活が安定し始め、将来の生活設計を描けるようになります。
今の仕事が自分に本当に向いているかなどということは、考えても始まりません。
そんな贅沢を言っていても、仕事がないのですから。
一方で、口を利いてくれた人へは迷惑はかけられません。
何十社も面接してようやく就職できたという都会の若者のことは、「都会だから」ということで理解します。
親戚や近所との付き合い、冠婚葬祭、婦人会、青年団など、島の人間関係は実に濃いものがあります。
気になる人間関係もいい面と悪い面が交差しています。
従って、人と変わったことをや目立つことは避けます。
現状を守る意識が強いのもそういう面があると思います。
変化の少ない日常に埋没する傾向が強くあります。
その反面、これでいいとも思っていないのではないでしょうか。
その代わり
通勤に10分とか、昼食は家に一度戻って食べるとか、夕方6時前には桟橋で釣りをするとか、仕事帰りに家庭菜園の手入れをするとか、都会では考えられない生活スタイルに満足感を覚えます。
そして、
島から都会に出て働いている某サラリーマンは
背広を着て、満員電車に乗って、仕事の成績というプレッシャーと戦い、上司に怒られ、後輩の面倒を見て、結婚し、子供が生まれ、うん千万円のマイホームを買い、35年の住宅ローンを抱え、奥さんはパートに出て、マイカーを持ち、朝7時過ぎには家を出て、夜10過ぎに帰宅して、妻の愚痴を聞いてやり、ようやく子供の寝顔に癒される、そういう生活が毎日普通に行われています。
そういう経験をした島民もいるはずです。
何十年も都会で生活して定年で帰ってきた人もいます。
ノウハウを持った人は沢山いると思います。
町役場をはじめ島民は、自分たちにはない、発想・表現力・交渉術・実行力・人脈など、知識やノウハウを持っている島民に協力をお願いすることを嫌がります。
そのいい例が、復興計画です。
東京のコンサルタントに5500万円支払い、住民有志による会議などを通じて完成したものです。
個人的にはコンサルタント契約をしたと聞いて参加をあきらめました。
がっかりの理由は、5500万円かけただけのものになっていない、ということです。
5500万円使う必要はなかったと思います。
私なら、災害被害にあった自治体を訪ねて、そこの担当者に資料をもらい、説明を受け、苦労話を聞き、住民対応の基本とコツを聞いてくれば作れます。
神戸や仙台、福島などの市町村に行き、資料をもらって説明をうけてくれば作れます。
職員数人の出張旅費で済みます。
自分たちの人脈の範囲からでられないということです。
その割には外部へ委託するということは知っています。
島のこころある住民はそれをじっと見ていたと思います。
そして、こう思ったと思います。
「島に住んだことのない人たちに多額のお金を払って、島の未来を託すのか」
「コンサルタントに頼んで成功するなら、倒産する会社はない」と。
町役場関係や各地区の住民の集まり、委員会などの役員もほとんどが島の人です。
これはもうやめたほうがいいと思います。
例えば、教育委員会などは、定年退職した校長の天下り先化しています。
教育イコール学校の先生などという発想はもう古すぎます。
島の基準は、安定した職業についている人という暗黙の基準があります。
支庁、役場、七島信用、東海汽船などに勤めている人たちということになります。
無難な人たちということです。
だから、一人でいくつもの役員をやっている、ということになってしまいます。
つまり、委員会の使命などは後回しというのが現状ではないでしょうか。
人材がいないんだよ、という発想です。
その人材という発想の中には島人しかないからです。
島の問題は「島民」です。
あつれきを避けて、無難な道を歩んできました。
戦後70年そうやってきたと思います。
村社会のそれが常識です。
そろそろ変化を求める時期だと思います。
次は「大島の人口」です。